関東つゆは都会のオアシス
いわゆるビジネス街である東京都港区は、ランチ不毛地帯である。
地価が高い故に庶民的な飲食店がなかなか見つからないのだ。
僕がいま勤務している浜松町では、しょうもない中華料理のランチで1200円平気で取られたりする。
日本は「ビッグマック指数が低い」とよく言われるので、食事の単価が高いのは市場としては良いことなのかもしれない。
しかし、それでもやっぱり仕事メシは、安い・早い・うまいが正直一番嬉しい。
港区のランチは、サラリーマン集団がGメン’75よろしく、闊歩して歩道を占拠する。
そして、テーブル席なし・カウンター席のみのラーメン屋に6人組で突入して、一斉に退店しようとしたりする。
港区のランチは、ストレスフルな人たちで殺伐としている。
就活生の頃、会社説明会の帰路に品川駅・港南口の吉野家に立ち寄ったが、
メガネの中年サラリーマンが丼を指さしながら外国籍と思われる店員さんに対して
「これ大盛りじゃないんだけど!!!(ドン!)」
とこの世の終わりみたいにブチ切れている場面に遭遇してしまった。
当時の僕は「品川はなんて怖いところなんだろう、どうしてこんなに店内が殺伐としているのだろう、品川の会社に勤務するのはやめよう」と思った。
そういえば、当時僕は就活帰りに、新宿の思い出横丁にあるそば屋・かめやで頻繁にかきあげそばを食べていた。半露天のサイバーパンクな佇まいから、”ブレードランナー系そば屋”と勝手に呼んでいた。
サラリーマンの味方といえば立ち食いそばだ。
僕が立ち食いそば、それも、都内にある黒い関東だしタイプのかけそばの真髄に触れたのは割と最近だったりする。
かつては、関西だしは圧倒的にうどん・そばのスープとして関東のそれより優れていると関東出身なのに思っていたし、東京のオフィス街でサラリーマンが行列をなして、特に感慨のない美味しくないチェーン店のかけそばをすする姿を目にしては、なんてつまらない人たちなのだろう、と思っていた。
グルメに興味がない人たちが簡便に腹を満たす、悪い意味での”サラメシ”。
今思えば「感慨もなく素早くお腹を満たせるメシ」は非常に崇高な存在なのだが、新卒の頃はその素晴らしさが理解できなかった。
そもそも、ランチのかけそばを美味しいと思ったことがかつてほとんどなかった気がする。
でも僕は、いつの間にか、社会の荒波に揉まれるうちに、関東つゆのどす黒いブラックホールに吸い込まれていた。
甘じょっぱい関東つゆのかけそばは”都会のオアシス”だ、と今は胸を張って言いたい。
先日、僕はランチ不毛地帯・浜松町で、桃源郷を発見した。
年季の入った、細いペンシルビルの1階にひっそりとたたずむ、六文そば 金杉橋店である。

六文。「小室等と六文銭」、小さな石鹸なカタカタ鳴ってそうな、ポケットに入っていたなけなしの小銭をかき集めて、冬の屋台の立ち食いそば屋でかけそばを食べるような、いかにも四畳半フォークな貧乏臭い店名がいい。
渋すぎる佇まいが愛しい神田の須田町店は立ち食いそば愛好家から尊敬のまなざしを受ける名店だが、こちらの金杉橋店はあまり知られていないのではないだろうか。
六文そばのすぐ近くにある小諸そばや吉野家はランチ時は行列が絶えないが、こちらはキャパが6人が限界にもかかわらず、あまり混むことはない。
お客さんの回転が良いというのもあるだろうが、”通”に愛されるお店だからだ。
それでは、六文そば 金杉橋店に行ってみましょう。
軒先で「安くて美味しいが一番」の看板が出迎えてくれる。

午前の仕事を終え、ランチを求め港区を彷徨うサラリーマンを出迎えるキャッチコピーとして、これは100点。泣けるほどいいフレーズ。
「元祖揚げたてお好み天ぷら」もリズミカルで声に出して読みたい秀逸なフレーズである。
お店を切り盛りするのは白ひげのお爺さんと無口で仕事熱心なキッチン担当のおじさんコンビ(女性の店員さんもいたようないなかったような)。
レトロでちょっと不衛生な狭狭しい店内に足を踏み入れると、白ひげのお爺さんがこの第一声で出迎えてくれる。
「なにーーー!!!???」
たじろいではいけませんよ。注文を確認を確認しているのです。いわゆる「ニンニク入れますか?」の亜種です。
ここでの皆さんの返答は一択。
『ゲソください』
それに対し、例のお爺さんは年季の入った釣り銭受けを差し出しながら「380え~ん」と返します。
ここで1000円を出してはいけません。「なんで小銭を用意してこないんだ」と、おつりについてブツブツ文句を言われてしまいます。
六文そば玄人である僕は、必ず400円をポケットに忍ばせていく。
おつりの20円を受け取り、古き良き立ち食いそばの雰囲気をしばし満喫。

しばらくすると六文そば 金杉橋店の傑作・ゲソ天そばが提供される。

かつおのやや効いた、酸味のある江戸っ子好みの関東だしに、太めで柔らかめのそば(小麦多め)が浸かり、セントラルキッチン方式のお店では難しいであろう、ワイルドでとっても香ばしいゲソ天が鎮座。
このコンビネーションのいかに素晴らしいことか。
かけそばにしたら麺のクオリティに引きづられて少しチープな味わいになってしまうところだが、ワイルドなゲソ天がうまくまとめてくれている。これを港区で380円で提供してくれる奇跡。
立ち食いそばは、美味しすぎてはいけないと思う。
六文そばのゲソ天そばには、労働をする人間の食事にふさわしい、身の丈にあったちょうどよい美味しさがある。
注文時のやり取りから愛想が悪い、クセのあるお店だと思う人がいるかもしれない。
でも、ゲソ天そばを堪能し、『ごちそうさん!』と一声かけて立ち去ると、必ずお爺さんは「あいよー!」と気持ちの良い返事を返してくれる。
僕は生粋の江戸っ子ではないが、そんな気にさせてくれるやり取りがそこにある。
きょうも僕は400円をポケットに忍ばせて、六文そばへ向かうのだった。